探してたことが見つかるWEBマガジン

探してたことが見つかるWEBマガジン│ファインドクリップ

「東京の下町」って具体的にどこを指す?下町の定義を考える

2018.5.12

東京の観光で抑えておく場所に「下町」がありますよね。でも「下町」という地名や明確な地域があるわけではないのです。

そもそも東京の下町とは、どこを指して言うのでしょうか。

下町という言葉の語源や、時代の中で変化して来たその定義などを調べてみました。

スポンサーリンク

こんな記事もよく読まれています

家を買うメリットは!?マイホームに関心がある方必見!

家を買うメリットについて、マイホームを考えているならもちろん関心がありますよね。 もちろんデメ...

新築に引っ越し!挨拶をするときに気をつける事について!

新築に引っ越しするときにご近所にどのように挨拶しますか? 今後関わることになる近所の方に嫌な印...

スポンサーリンク

江戸人情を感じさせてくれる東京の下町とはどこを指しているのか

東京の魅力を語るとき、その一つに「下町」という言葉があるのではないでしょうか。では、下町とはどこを差しているのか。町名や地名として「下町」という場所があるわけではありません。

東京の地形は平坦な低地と、凹凸のある台地に分けられます。言葉の定義からすると、低く平坦な地が「下町」、それに対して台地は「山の手」ということになります。

ただ、「東京の下町」と言った場合に、この定義では矛盾が生まれます。

映画の影響などもあり、下町の王道のように見られる葛飾区。しかし、葛飾区が下町であるなら足立区と江戸川区も下町ではないのか、ということになりますが、そこは異を唱えられてしまうでしょう。

下町と言われる地域でも、近代的な建物があれば下町の風情は感じられないでしょう。逆に、山の手でもレトロな街並みや商店街があれば、下町っぽいと感じるかもしれません。

不明確なざっくりとした「下町」のイメージこそあっても、それはとても漠然としたものでしかないようです。

東京の下町はどこまで?江戸の頃から拡大した下町の範囲

江戸の造成によって高台には大名や上級武士など、身分が高い人々が屋敷を建てて住まうようになりました。

当時は湿地が多かった低地は、埋め立てられ、商工業者を中心に居を構えたのです。そこに掘りや水路が作られ、それぞれの地域色が生まれ、発展することで多様性のある江戸が発展して今の東京に至ります。

当初は、神田周辺の庶民が多く暮らす地域を下町と呼んだようです。これに対して、武家や寺社が多い高台を山の手と呼ぶようになりました。

下町のイメージが強い浅草ですが、下町と言われるようになったのは明治以後ことです。江戸の発展と人口増加にともなって、商工業に携わる人たちが移り住み、浅草のような郊外も下町として拡大していったのです。

地形と、住まう人々の身分もあいまって「山の手」、「下町」とうい言葉が定着していったのでしょう。

東京の下町とはどこの区?昔の農村部は下町文化の下地がない

「山の手=高級住宅街」、「下町=庶民的な街並みや路地」というのが多くの人のイメージです。

けれど、そもそもは武蔵野台地の端を境にして「山の手」、「下町」と呼ぶ地理的な区分が根本です。これからすると、街並みの古さから谷中を下町と言ったり、戸越銀座の商店街を下町というのは間違いであると言えるでしょう。

また、下町の「下」は、「江戸城の城下」「城下町」という意味からも来ています。現在、下町としておなじみの浅草や深川、葛飾柴又などは本来、全然「下町」ではないのです。

しかし、明治になって「東京市」が誕生したときに区になった浅草区、深川区、下谷区、本所区は、広義で下町と言えるのかもしれません。

一方、葛飾区や江戸川区、荒川区などは当時農村で、いわゆる商業的なものを含んだ下町文化とは一線を画しているので下町ではないと考えられます。

「江戸っ子」とは東京のどこの生まれまで名乗ってもいいのか

単に「東京生まれ・東京育ち」というだけでは、江戸っ子として認められないようです。基本は、本人と両親・祖父母の三代続いて東京育ちであることが必須条件なんだとか。

地理的には、幾通りかの解釈があるようで、一例としては次のような4つのパターンがあります。

  1. 現在の東京都23区内
  2. 東京都の前身である「東京府」(1868~1943年)内
  3. 東京の下町で、かつ代表的な地域(日本橋・京橋・神田・下谷・浅草・本所・深川)
  4. 東京の下町で、3よりも広い地域も含む
    (3の地域に加え、秋葉原や中央区、江東区など。更に葛飾区柴又や品川区などを含むこともある)

解釈も人それぞれなので、より狭義の江戸っ子で当てはまる「生粋の江戸っ子」にしてみたら、4の定義する地域が広い江戸っ子は認められないかもしれませんね。

東京の下町が明確にどこを示すかは、時代とともに変化してきた

「山の手」「下町」というそもそもの意味を考えてきましたが、言葉の意味や定義、使われ方は時代によって変化していくものです。

江戸時代、明治時代の山の手や下町と、現在のそれでは一般的に受ける言葉の印象もずいぶん違うものがあるでしょう。

東京と一言で言っても、その人口や都市の規模は巨大です。江戸の時代でも世界レベルの大都市であったことは間違いありません。

そこを「山の手」と「下町」に二分して考えること自体が無理な話です。下町では、さらに郊外を「川向こう」と呼び、「田舎」を意味していたそうです。

しかし、日本の首都東京の郊外は、ほかの地域からみて田舎という気はしませんよね。山の手や下町という言葉から思い浮かぶイメージは、時代とともに変化し、その言葉を使う人や聞く側の人間の感じ方でも違いがあるのでしょう。

英語圏には「downtown」という下町を直訳したような単語がありますが、その意味は「都心・中心街・繁華街」などのことで、意味合いはまったく逆の様相を呈します。

 - 地域